自分自身にオープンに生きること
誰からも何も言われてないけど、書くこと。
最近、環境問題に関する投稿ばかりになって、
「急にどうした?」と感じる人もいるのかなと思って。
結論から言うと、私が環境問題について発信し始めたことは、
私が突然感化されたわけではなくって、
私の元々からの性質や考え方が根底にあると思っています。
多分、元々、小さい頃から無駄に正義感が強くて(別に自分のこと褒めてなくて、この性格で、失った人間関係もあると思ってる。)、
悪いことは悪いし、一生懸命やることが正しくて、
政治が腐敗してるのも環境が破壊されるのも悔しい!と思っていた。
ポイ捨てとかも腹立たしくてたまらなかった。
浮ついた話とかも本当は許せなくて、
浮気しかけたことをモテてる自慢として女子トークのネタにしていた人(その時は友人)に適当に合わせることもできず、
「それは自分も彼氏に同じことされても何も言えないってことだからね」
と真顔で伝えてしまったり。(その後、その子とは疎遠。)そんな感じの人だったんです。正しくないと思うことに我慢ができなかった。
だから、一部の人からはあまり好かれてなかったと思う本当に…。
学校でちゃんと授業受けないでへらへらしてる人とかも凄く嫌だった。
一生懸命取り組まないで、要領良く先生に好かれて、みたいなことも凄く嫌いだった。
日本の政治の問題に対してニュースが流れるたび、悔しくて泣いてお父さんと喧嘩もたくさんした。笑
だけど、大人になるにつれて、
そういうことやそういう人達に対して、
別にわざわざ言わなくてもいいや、自分のエネルギーは使わなくていいや、
その人達にはその人達の生き方があって、それで損をしたって自分の責任なんだから、わたしには関係ない、
と割り切って考えられるようになっていった。
それは自分にとって、いいことでもあった。自分が憤りを毎度毎度感じないで生きられる。生きやすい考え方。
感度に蓋をしたってこと。腹立たしい思いにも蓋をできる。
自分のことも首を締めないで済む。人に怒ってるのに、自分がそれに加担するってことはできないからね。
怒らなければ、少しくらい自分もだらしなくても、いいよね…と、少し、逃げた。
それでも日本の政治や世界の現状には腹立たしくなることはよくあったけど、
それをSNSに書いたりはしなかった(いや、書くことも少しはあったかもしれないけど普段感じている1/5も吐き出してない)。
自分は選挙に行くし、ゴミの分別もする。私は私の世界と考えるようになった。私は、私の責任"は"果たしてる、と。
それなりに楽しんで、それなりにおしゃれして、それなりに女子的生活を送って。
自分の正義感には蓋をして。だって、それをさらけ出すと、引いちゃう人もいるだろうから、って。
自分の楽しい、ポジティブで華やかそうな部分だけ、
SNSに載せたり、多くの友人にはその態度でいた。
仮面かぶってるってほどではなくて、そこまで寂しい話でもないよ。友人達も彼も大好き。逆に、だからこそ、一緒にいる時はポジティブな楽しい時間を過ごしたくて、
正義感が強い部分やヘビーな話は、沢山はあまり表に出さないようにしていた、という感じ。
高校くらいまでの友達にはダークサイドも見せてたと思うけど。笑
(本当にありがとう皆。多くは会えないけど本気で愛してる)
で、そんな状態だったのだけど、
私はこの1年くらいで元来の自分をさらけ出す土台が作られていったのだと思う。それは、内面的な要因も、外的要因もどちらも。
- 結婚したことで、経済的(一人で暮らすよりも快適な家に住める、自分以外に生活費を稼いでくれる人がいることによる安心感)、精神的(自分のことを大枠認めてくれる人がいる、帰る場所がある、寂しくない、無理しなくていい)に余裕が出来たこと
- オーストラリアの森林火災を通じて、環境破壊の深刻さを実感した
- 世界中が閉じられた期間を通して、本来の自分に向き合わざるを得なかったこと、他人からの目線に晒されることが物理的に少なくなったこと
- 昔のように、怒りに任せた正義感ではなく、緩やかに、自分の選択を意思表示したいと思うようになった
それで、"ああもう、蓋をするのはやめよう"と思えてきた。
正直言うと、いきなりゴミを急激に減らしたがり始めたりして、
旦那さんからも「急にどうしたの?」と言われた。
(だからきっと、SNS上でも思われてるのではないかと思う)
だけど、私としては、
「急に変わってなんかない、私は元からこういう人間だったんだよ!」という気持ちなんだ。
こんな、自分の頭の中のことを洗いざらい書くのも、
今までは自分しか見ることのできない場所に書いていて、
だれにも見せてなかったし、
恥ずかしいというか、からかわれるような気がしているし、
だけど、もうある程度いいかな?って。
本当に今、世界の色んな"常識"が変わろうとしてると思う。
だってさ、
今や、女性が参政権を持ち、
人種差別はいけない、
セクシャルマイノリティにも権利がある!なんていうけど、
少し遡れば、女性に参政権を!なんて主張してる人達は非常識扱いであったわけで。
今ある"常識"と感じてるものたちは、
全部先人の犠牲や努力があって勝ち取られたもの。
"状態"ではなく"動作"で手に入ったもの。
元々、そこに存在していたものではない。
環境問題や人種差別や、動物の問題も、
「そこまで大袈裟に扱う?」
「宗教みたい」「クレイジー」
「気にしすぎ」「騒ぎすぎ」
今は、そんな風に扱われる風潮があるかもしれないけど、
あなたが当たり前だって思ってるその環境も、
100年前には同じこと言われたんだよ、って思うんだ。
男女平等、
戦争反対、
奴隷解放、
どれもその時は非常識だったはず。
平たい、誰かと同じことが波風立たなくていいとか、
物分かりがいい女性だとか、
発言しないのが賢いとか、
もうそういうの飽き飽きだと思って。
私は自分が"良い""心地よい"と思うことを発信する。
それが誰かの気づきになれば嬉しい。
"良い"と同時に"正しい"と思うから発信するわけだけど、
"正しさ"は全ての場合で解決を生むわけじゃない。
それぞれにそれぞれの信条があることだから。
だけど、自分と違う考えやポリシーの人やものを否定することは私はしない。
なんかね、全然まだ、まだ先はあると思うんだけど、
やっと、蓋をしない生き方に一歩踏み出せそうな気がしているんです。
別に、全てを投げ出してやりたいことが見つかったわけでも、
数ヶ月前と比べて生活が一変したわけでも、
なんでもないんだけど。
良いものは良い、私はこう思うよ、あなたはそうなんだね、って認め合って生きていきたい。
自分で調べて、考え抜いて、
出した答えや、選択を大事にして生きる今の自分の考え方にとても満足している。
自分の考え方は、これだよって、
やっぱり、私はこういう頭でっかちな人間だよ、小さい頃からずっとそうだったもんね!おかえり!って感じ。もう隠さなくていいよー!
だから、
おんなじような気持ちでいる人には、
この際、蓋外そう!トリガー外そう!ちょっと怖いけど、なんだか自分の奥底から自由だー!ってなるよ、って伝えたい。笑
別にその場がSNSである必要はないし、
どこかに発信することが必須でもないけど、
自分一人だけだったとしても、思いを嘘つかずに出せるところがあると、いいと思うなぁ。
あー。まとまりないし締まらないんだけど…
ここ何ヶ月かのわたしの心の動きをご報告しました。笑
本当の自分って言うとなんだかかっこつけてるけど、
蓋をしない自分、でいたいね。いつでもってわけにはいかないけどさ!
0コメント