2020年大切にしてきた物事の見方

今年は30日まで仕事だったので
やっとお休みです。
正直振り返る間も無く!という感じですが
少し早起きできたので、残しておこうかな。

初めてのことが色々と起きた今年は
その度に世の中も、周りの人の考え方も、
対する自分の感じ方も、新たな発見だったことが多くあったし、
余計なものが削ぎ落とされたことで本来の自分が良くも悪くも洗い出された気がする。

"家の中で過ごさなければならない"と自分以外の外的要因で強制(日本は法的拘束力はありませんでしたが)された時に、
わたしは5〜6年前に出会ってから自分の人生の楽しみ方と元となっていた
nextweekendの「週末野心」の精神が意識より深い部分に染み付いてきていたな、と感じた。
例え、遊びにいけなくても、その状況に不満や文句はそこまで感じなくて、
「じゃあ今日はなにをしようかな?」と割とわくわくして過ごした。
それはもちろん仕事の内容や、健康面にもよると思うので、
今年は誰かにとっての正しい、や、good!が平時に増して全員に適用できるものではなかったことは、承知の上で。

・今あるものに感謝して、与えられた状況で自分の機嫌を取る
ということ。それはネガティブな考え方ではなく、"自分"で自分の人生を最良化させる考え方。
短期留学して、nextweekendに出会って。
大事にしたいと思った考え方はこの5年できちんと自分の根っこになっていたことを実感した。
場面的な楽しさは、楽しそうなコンテンツを楽しそうな場所で楽しそうな人たちと行うことで手に入るかもしれないけど、
心に残る充実感は、自分で自分のことを楽しませた時だと思う。

次に、今年から大切にするようになった考え方。

それは、
・違和感を大切にする、見過ごさない
ということ。

生まれてから今まで初めての事柄に出会った時など、
きっと何度も感じたことがある違和感という感情。
初めてじゃなくても、につかわしくない、本当はこうじゃない、という違和感とか。
でも、大人になるにつれてだったり、大人としてやっていくため、に
蓋をしたり飲み込んだりして、
だんだんとその違和感の感度が鈍く、初めはおかしいと思ったはずなのに、普通になってしまったこと、私は沢山あります。

例えば。
・美しい夜景って、誰かが夜まで働いてる電気の集まりだよね?
・犬食べる文化、気持ち悪いって思うけど、なんで牛や豚は食べてるんだろう?
・道端にいる犬を殺したら捕まるけど、食べるための豚は殺しても罪にならない
・自分で作ったお菓子はすぐダメになるのに、なんで市販のお菓子は賞味期限長いの?
・ホルモン?!動物の内臓食べるの?!
・コオロギプロテインは気持ち悪い…でも牛の乳プロテインは皆飲んでるなあ
・嘘ついちゃダメって習うけど、政治家は皆嘘ついてない?
・なんで一年中同じ野菜が食べられるの?
・革製品って牛とかの皮膚なんだ…気持ち悪い
・満員電車で押し潰されてまで都会で暮らす意味あるの?
・牛って永遠に牛乳出せてるの?
・人って夜中まで働ける生物じゃなくない?日が上ったら働いて日が沈んだら家に帰るのが本来じゃないの
など!!!笑

ホルモンとか、最初知った時(中高生くらい)
気持ち悪くて、そんなもの食べてると思ったら食べながら口の中で気持ち悪くなってたのに、
大丈夫だから、慣れるから、と言われ食べ続けたら食べられるようになった。
でもこれは、おそらく、
慣れたのは味じゃなくて、その物体を
動物の内臓と認識していたところから、
"食べ物"に変換できるようになったから。

まぁそんなことって山ほどあって、
現代社会の中で"うまく"立ち回るために
蓋を沢山してきたわけだけど、
今年はそれを全部、ひっくり返して
世の中の"常識"ではなく、
5歳のあかり に聞いてみることにした。

そうすると、
本当に人生の中で自分がしたい選択が見えてきたし、
自分の選択に以前より自信や満足感が出てきて、
自己肯定感が高まった気がする。

もちろん5歳の自分の善し悪しだけでは
選択できない部分もあって
インスタグラム上で輝いてる女性たちは
「やりたくないことはやらないのよ」とおっしゃってくれるけど
明日からいきなり会社行かないとか無理じゃん!!!!ってなる気持ちもわかるし。笑
ただそうやって少しずつトレーニングしていくことで、
まず容易に変えられるところから(行きたくない集まりには出ない、とか)選択をしていくことで、
最終的にはしたくない仕事を辞めることにもなるかも。
したくない仕事をすることで、別の自分の満足感があればそれでいいと思うし、
それは人それぞれプライオリティが違うけどね。

あとは、その違和感って結構世の中のパワーバランスの真理に辿り着くこともあって。
ああ、自分や自分の家族の身は自分で守らなければいけないな、と強く感じた。
要は、世の中の常識=皆がやっていること が
倫理的にも、自分の健康にも、お金の健全な回り方にも正しいとは限らないということ。
皆がやっているから大丈夫、テレビが言ってるから正しい、
ではなく自分の目で耳で情報を得て(そしてその情報もできれば賛成反対含めた様々な見方)、
最終的に自分で判断しなければならない。

時には、正解が分からなくて、
途方に暮れることもあるし、
知らないで暮らしていた方が
幸せっぽいものだったかもしれないし
後で何か起こっても、それが運命だったのね、と何も分からずに健康を害したりそれにお金を払ったりしていたんだろうなと思う時もあるけど、
やっぱりそれは嫌なんだよね。

そして、私はこうだった、と気づいた今年。
そうそう、本来の私、お帰り、しばらく閉じ込めといてごめんって感じ。笑
中高生くらいまで、
色んなことずっと常に考え続けてたんだけど(言い方が馬鹿っぽいけど)
大学生で上京して、そこまで考え続けてると、
周りには馴染めないかもと思ったりして、
考えるのをやめた。
考えなければ、ぶつかることも、自分の中の葛藤もない。

そのあとは、働き始めて、
仕事のことを考えることはもちろんあったけど、
業務量や内容含めて必死すぎて、
1年以上先の自分のことや、世の中のおかしさまで考えるには至らなかった。

色んな環境の変化を経て、今年。
物事が一段落しそうだった、今年。

おかえりー!笑

だから正直、疲れた?時もあったと思う。
周りの人との温度差とか、
正解がわからないこととか。
でも、これから、また、5歳の自分の声を無視する生き方には戻りたくない。
5歳の自分は、いつか、自分の子どもになるかもしれない。
その子たちに恥じる選択はしたくない。後悔はしても、考えなかったことをあとで恥じたくない。

長々と、書いたけど、すっきり!笑
1ミリでもどこか参考になることがあると嬉しいな。
参考というよりかは、何か自分の人生の中で、ここ考えようかな、と思ってもらえたら。

来年のことはまた来年考えよう😊
やりたいことはリストアップしつつあるけども!

今年も一年お世話になりました。
皆様のご多幸をお祈りしています。

2020.12.31 akari

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